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国土地理院細島験潮場(宮崎県日向市細島)

Category : 日向市の戦跡 |

現存する日本最古の験潮場。
細島港から御鉾ケ浦へ向かう途中にあり、レトロな建屋に現代的な送信設備を組み合わせた、何だか妙な佇まいを見せております。

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茶色い柱はデータ送信設備

この施設が設置されたのは明治25年。日本の験潮は明治24年に始まりましたから、初期の姿を残す貴重な史跡です。
そして何と、この施設は現在でも国土地理院へ潮汐データを送信し続けているとのこと。

国土地理院の「験潮場」、気象庁の「検潮所」、海上保安庁の「験潮所」は、各地の潮位を観測する施設。
リアルタイムで送信されるデータを蓄積・分析する事で、より精確な予測を可能としています。

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細島の験潮場ですが、元々は日本陸軍の施設でした。
その証拠に、入口の上には陸軍の星マークが付いています。私は海軍水路部の施設かと勘違いしていました。
国土地理院の所有ということは、陸軍の陸地測量部から内務省地理調査所(国土地理院の前身)へ引き継がれたモノでしょうか?

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検潮場の真上、朝日公園(大御神社付近)から眺めた戦前の細島港。

静かな港町である細島。
一見、軍事との関わりは験潮場だけのように見えます。
しかし、戦時中の日向市は本土決戦の最前線と化していました。
昭和20年3月18日から始まった宮崎空襲にも関わらず、県内各地の軍用飛行場は「本土決戦に備えて戦力温存」の命令によって戦闘機をシェルター内に隠し通します。
しかし、冨高の海軍飛行場の第721航空隊戦闘307飛行隊だけは来襲する米軍機に空中戦を挑みました。一連の攻防で多大な損害を蒙った戦闘307飛行隊は、特攻機直掩任務のため鹿屋へと移動。
以降、富高飛行場は鹿屋方面へ移動する特攻機の中継地点と化し、日向市は激しい空襲に晒され続けます。
三菱石油や九州造船の軍需工場が集中していた細島港も攻撃目標となりました。

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第8回天隊がいた細島漁港方面

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第121震洋隊がいた御鉾ケ浦方面

戦争末期、御鉾ケ浦には海軍佐世保鎮守府第35突撃隊の第121震洋特攻艇部隊が展開。
また、験潮場の対岸では同突撃隊の第8回天潜航艇部隊が基地を構築していました。
これら特攻ボートや人間魚雷は夜間突入訓練を繰り返しながら米艦隊の接近に備えます。
震洋格納トンネルの岩盤掘削工事に失敗した121部隊は、御鉾ケ浦を放棄して対岸の第8回天隊基地へ移動。
北側の梶木町向ケ浜へ再移転し、出撃準備中に終戦を迎えました。

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戦後、細島港沖には宮崎県防衛のため備蓄されていた砲弾類が大量に集積され、進駐軍の監視下で沖合に海中投棄処分となります。
121震洋隊の特攻ボートは延岡市の土々呂へ回航されて爆発物処理の後に放棄。
08回天隊の人間魚雷は今なお細島港沿岸に埋められているとか。
こうして細島の戦争は終りました。

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細島は何処へ行っても猫がたくさんいますね

空襲に晒された細島港ですが、験潮場は幸いにも被害を免れました。
この先も貴重な史跡として、そして現役の観測施設として残していって欲しいものです。

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