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海軍第5特攻戦隊第33突撃隊・第54及び第117震洋隊特攻基地(宮崎県日南市大堂津)

Category : 日南市の戦跡 |

佐世保鎮守府第5特攻戦隊第33突撃隊第54及び117震洋部隊

昭和20年春、米軍の九州上陸に備えて宮崎県南北沿岸に特攻艇の部隊が配備されます。
県北部には佐世保鎮守府第5特攻戦隊第35突撃隊(35突)が、県南部には同じく特攻第5戦隊第33突撃隊が展開しました。
35突の所属は、北から延岡市土々呂の第48及び第116震洋隊、日向市細島港の第08回天隊(12隻)及び第121震洋隊、美々津の第122震洋隊、合せて回天12隻、震洋125隻、魚雷艇12隻。
33突の所属は日南市油津の第03回天隊(9隻)及び126震洋隊、南郷の第05回天隊(観音崎7隻、大堂津4隻)及び第54・第117震洋隊、内海の第9回天隊(6隻)、合計回天26隻、震洋100隻、魚雷艇12隻、特殊潜航艇海竜12隻でした。

此処では、日南市の大堂津に展開していた震洋部隊の史跡について取り上げます。

●海軍第117震洋部隊基地
117震洋


猪崎鼻2

宮崎県日南市の油津港と大堂津港の中間にある岬、猪崎鼻。
猪崎鼻は岬全体が展望公園と無線中継基地になっており、晴れた日には美しい海原を一望する事ができます。

昭和20年の春、自爆攻撃をおこなう特攻隊がここで待機を続けていました。
宮崎県沿岸は、米軍の南九州侵攻「オリンピック作戦」の第一目標と予測されており、米軍上陸を迎え撃つ為に特攻ボート「震洋」と特殊潜航艇「回天」の基地が設置されたのです。
特攻艇が展開したのは県北部の延岡と日向、そして県南部の日南でした。
そして、日南の油津には第54及び第126震洋部隊、大堂津には第117震洋部隊が配置されます。

第54「丸井」部隊は、震洋50隻、将校9名、特攻隊員53名、整備員50名、基地隊50名、本部付18名の総員180名で構成されていました。

5月に鹿児島県内之浦へ展開するも、後続部隊と大堂津で合流。
しかし、格納壕は先に同地に進出した同じ第三十三突撃隊の回天隊が使用していたため、浜辺に木枠で格納壕を作り上に砂で覆った。そこに入りきらないものは山林の中やトンネルに運び入れた。進出当初に空襲があり、7、8月は空襲が激しく、訓練どころではなかった。

奥本剛著「陸海軍水上特攻部隊全史」より

第117「小林」隊は、震洋26隻、将校7名、特攻隊員50名、整備員38名、基地隊78名、本部付15名の総員188名。
第54部隊と共に大堂津へ展開しました。

117震洋a
猪崎鼻公園の一角には「平和の祈り」と記された石碑が建てられていました。

117震洋b
昭和60年4月17日建立。

117震洋c

元海軍第一七七震洋特別攻撃隊基地跡
太平洋戦争末期の昭和二〇年四月、ここ大堂津に海軍第一七七震洋特別攻撃隊基地が設けられ、三重海軍航空隊飛行予科練習生一九期三学年卒業生当時十六歳から十九歳までの若き搭乗員五〇名が、日夜猛訓練に励んでいました。
水上特攻舟艇「震洋」は長さ五メートル、幅一,二メートル、のベニヤ板製モーターボートで頭部に二五〇キログラムの爆薬を積んだまま敵艦船に体当たりし、搭乗員自らも爆死するという特別攻撃兵器でした。
あれから四十二年の歳月が流れ、日本は今、驚異的な経済発展を遂げ、自由と平和に満たされた民主国家として栄えています。
日本はもう二度とあのような苛酷な戦争を起こしてはなりません。
この碑に当時をかえりみ、戦死した幾多の友の霊を奉祭し、心から悠久の平和を祈念いたします


大堂津
猪崎鼻から見た大堂津漁港。

油津
同じく猪崎鼻から見た油津港。油津の大節鼻には人間魚雷「回天」部隊が展開しています。

猪崎鼻3

七つ岩

「8月上旬、出撃準備の大命が下る。第一一七震洋隊全員は鬼神の如き力を発揮し、全艇に弾頭の装着、燃料の搭載、機関の整備等を完了、格納壕には日本酒四斗樽を併置したが(出撃時の別杯)、終戦により中止(117部隊)」

「8月15日、敗戦の通達はあったが、敵艦が見えたらいつでも出撃できる状態に配備する旨の命令があったため、敵潜水艦発見の報で第二艇隊より出撃準備を行った。
16日、浜辺にあった格納壕内の震洋が火事となったが消火に成功(54部隊)」
奥本剛著「陸海軍水上特攻部隊全史」より

灯台

米軍上陸作戦前に終戦を迎え、延岡、日向、日南の宮崎県沿岸部に展開していた特攻艇部隊も解散します。
爆薬を抜かれた震洋は海岸に放置されていましたが、直後に襲来した枕崎台風によって流失しました。
当時建設された震洋格納トンネルも、現在は一部しか残っていません。

第54部隊では2名が死亡。
第117部隊は全員が復員しました。
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