金属アレルギー 敏感肌 化粧品

スポンサーサイト

Category : スポンサー広告 |

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

海軍第5特攻戦隊第33突撃隊・第5回天隊特殊潜航艇基地(宮崎県日南市南郷町栄松)

Category : 日南市の戦跡 |

昭和20年春、米軍の九州上陸に備えて宮崎県南北沿岸に特攻艇の部隊が配備されます。
県北部には佐世保鎮守府第5特攻戦隊第35突撃隊(35突)が、県南部には同じく第33突撃隊(33突)が展開しました。
35突の所属は、北から延岡市土々呂の第48及び第116震洋隊、日向市細島港の第08回天隊(12隻)及び第121震洋隊、美々津の第122震洋隊、合せて回天12隻、震洋125隻、魚雷艇12隻。

33突の所属は日南市油津の第03回天隊(9隻)及び126震洋隊、南郷の第05回天隊(観音崎7隻、大堂津4隻)及び第54・第117震洋隊、内海の第9回天隊(6隻)、合計回天26隻、震洋100隻、魚雷艇12隻、特殊潜航艇海竜12隻でした。

今回は、日南市南郷町に展開していた第33突撃隊第5回天部隊の遺構について取り上げます。


回天2

人間魚雷「回天」は、文字通り乗員もろとも敵艦に体当たりする特殊潜航艇です。
昭和20年4月、米軍は沖縄へ進攻し、九州上陸も間近に迫ります。米軍の上陸地点が宮崎沿岸・志布志湾・吹上浜である事を正確に予想していた軍部は、宮崎県沿岸部に「回天」および特攻モーターボート「震洋」部隊を展開しました。
宮崎南部に配置されたのは、海軍第33突撃隊「嵐部隊」。
沿岸部には特攻兵器の格納トンネルが掘られ、百数十名の特攻隊員が出撃に備えます。

DSC04807_R.jpg
対岸から見た栄松特攻基地。この湾の奥、栄松観音崎には第5回天隊8隻が、更に北方の猪崎鼻岬には第10回天隊3隻と第117震洋隊50隻が潜んでいました。

DSC00174_R_R.jpg

配備される回天は潜水艦で海中輸送され、宮崎沖で切り離されて海面へ浮上。そのまま格納庫へ揚陸されます。一連の作業は深夜ひそかに行われ、地元住民ですら気付かなかった程でした。
搭乗員は、後から陸路で到着しています。

第5回天隊隊員到着日
6月17日 永見、小原、多賀谷、高館、鳶村、中村隊員
7月14日 佐賀’、緑川隊員
8月14日 青木、野村、本橋隊員

第5回天隊が準備を整えた頃、すでに宮崎県内の軍用飛行場はB29爆撃機の猛爆撃に晒されていました。
袋叩きに遭った赤江、新田原、都城西の各飛行場は機能を停止。辛うじて都城東、都城北、富高飛行場が特攻機の出撃・中継拠点となっているだけで、航空戦力の支援は期待できません。
宮崎県には上陸牽制部隊の陸軍第154師団(西都市)と156師団(国富町)、それを側面支援する212師団(都農町)、後方支援部隊の第25師団(小林市)が展開。

宮崎沿岸に米艦隊が接近すれば、まずは延岡、日向、日南の各特攻艇部隊が突入する手筈だったのです。
この美しい海辺で、死ぬ為の訓練が開始されました。

回天3
日南市南郷町贄波の展望台にある「人間魚雷回天訓練の地碑」。

DSC00172_R_R.jpg

DSC00168_R_R.jpg

回天1

回天4

回天5

南海にたとえこの身ははつるとも 幾年のちの春をおもえば
  特攻隊員詠

かつてこの地は第三三突撃隊人間魚雷回天の乗組員たちが、祖国の存亡を憂いて猛訓練をつづけた海である。
年移りて星変わりて平和な祖国は国定公園日南海岸としてその絶景をたたえている。
あの島この島陰に大東亜戦争の必勝を念じ生命を捧げて永遠の平和を渇仰した尊い若人の血のにじむ猛訓練のあとを偲び、祖国の為に散った戦友を追悼し永遠の平和を祈念してこの碑を建立する。


南郷

【回天格納トンネル】

海岸沿いに構築されていた特攻艇の格納庫は、戦後の道路拡張工事などで大部分が埋没してしまいました。
現在も少数が残存しているらしいのですが、確認可能なのは栄松観音崎にある第5回天隊の格納トンネルのみです。

回天格納庫2

回天格納庫1

回天格納庫3

回天格納庫4

回天格納庫5
現在も複数残されている第5回天隊の格納トンネル。
栄松地区には回天8隻と8名の搭乗員が配置されていました。ひとつのトンネルあたり回天を2隻格納するので、合計4つのトンネルがあった訳ですね。

DSC00207_R_R.jpg

DSC00209_R_R.jpg

DSC00208_R_R.jpg

DSC00196_R_R.jpg

DSC00193_R_R.jpg

DSC00198_R_R.jpg
回天格納トンネル前の海中にある土管。干潮時は水上に露出しています。
造船所の古い設備なのか、回天隊のものなのかは分かりませんでした。

DSC00205_R_R.jpg
回天トンネルから先は岩礁地帯となっており、この辺に特攻用の陣地は無い様です。

DSC00177_R_R.jpg

米軍も宮崎沿岸に軍事施設があることを察知していたらしく、執拗な攻撃を加えています。
漁船に紛れて繋留してあった日向細島港の震洋は空襲で撃沈され、昭和20年7月16日には米軍の油津梅ケ浜爆撃によって住民29名、海軍兵士4名が死亡。
内海港では、第5回天隊基地設営に油津から派遣されていた第3回天隊員2名が米軍機の奇襲を受けて戦死しました。
日南沖では激しい空中戦も展開され、撃墜された軍用機が海へ沈みました。何名かは救助されたものの、多くの遺骨は回収すらされていません。



空襲の激化によって訓練も儘ならない状況となり、第33突撃隊の特攻隊員らはひたすら出撃を待ち続けます。
米軍側は志布志湾から都井岬にかけての日本軍砲台を破壊した後、南郷、大堂津の特攻艇基地を攻撃。志布志湾岸の陣地を一掃してから第11軍団(第1騎兵師団、第43歩兵師団、アメリカル師団)を上陸させる計画でした。
オリンピック作戦が決行された場合、回天隊の大部分は出撃前に壊滅したことでしょう。

幸いにも本土決戦は回避され、日南の特攻隊も待機のまま終戦を迎えます。
震洋は爆薬を除去したのち廃棄されましたが、回天がどうなったかは不明。
細島などの格納トンネル跡には、今も回天が埋まっているとの噂もあります。爆薬が除去されていない可能性もあり、発掘調査は許可されていません。

DSC00164_R_R.jpg
関連記事
スポンサーサイト

トラックバック

トラックバック一覧

コメント一覧

コメントの投稿

名前

タイトル

メールアドレス

URL

本文

パスワード

非公開コメント管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。