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其の四 陸軍衛生軍曹 村田弘

Category : 空挺隊員の証言 |

昨日よりの興奮が未だ醒めやらぬ様に朝早くから今日の降下者は恵まれた晴天に嬉々として騒音をはしやぎ立て、落下傘に開傘ゴム紐を掛けるもの、点検に余念のない者、洗面袋をブラ下げて皈つて来る者、降下靴を穿く者等々に皆溌剌として全で昨夜あたり寝台上で座禅を組んだ兵隊だとは思はれない活発さ。
だが、唯吹流し丈がだるそうに飛行場の隅つ子の方で居眠りをして居る。
殆んど無風状態。おまけに五月五日端午の節句と来て居るから、天好の甲だ。
特に處女降下の我々には印象がのころ訳だ。

〇八・〇〇
太陽は高くきら〃と光を地上に投げて格納庫の隅つ子の方迄照り付けて居る。格納庫の前には落下傘を着けた今日の降下兵が全員整列して居る。
教官助教が一生懸命落下傘の装着や開傘装置の状況を汗を流し乍ら入念に点検をして居る。
引続いて教官殿の訓示が行はれる。飛行場一帯はエンヂンとプロペラの音で訓示の聴き取れない位にやかましい。
訓示が終つて格納庫内で待機する者と直ぐに搭乗する者とに別れる。

搭乗者の申告が終つてそれ〃自分の搭乗すべき機に走つて行く。
プロペラーの回転で機に近付けない程の強い風圧を踏み耐い乍ら走つて行かないと吹飛されそうで一寸骨だ。
全員規定の席に就くと、機付の整備兵が走り去る。
操縦士と機上教官との間に連絡を執ると軈てエンヂンは一層唸りを立てゝ滑走を始める。

愈々飛ぶんだなあーと想ふと丁度百米突競走でスタートに就いた時の様に心臓が早鐘を打つて血液が一度に脉管に弾き出されそうだ。
全く何んとも言い得ない氣持。
愈々速力が加はつて滑走の動揺が機体より消え去ると、尻つぺたと降下靴の裏側から押上げられる様な感じを体全体に受けて怪物の様にぐん〃大空に高度をとつて行く。
窓越しに聴く気流の翼を洗ふ音は囂々として嵐の中を目掛けて飛び込んで行く様だ。
間もなく機は海上に出ると豫定課目の高度を保つて海岸傳ひに降下場へ方向を換へて飛んで行く。

大気の上にどつしりと落付いて飛ぶ輸送機は全て海上に浮べたと何等変らない。
時々気流の波にぐらり〃と軽い動揺が機全体に感ずると青空ばかりを網膜に映したり緑の地面ばかりを現出させたりして一寸落付かないやる瀬ない気持だ。
やつぱり皆んなも落付かないのか装帯やら離脱器を無性に撫で廻して居る。
蒸し暑い機内の油つ臭い空気は遠慮もなく皮膚に汗を滲み出させる。時々耳が変になつて鼓膜でも塞がれた様に聴へなくなると大きく欠伸をして欧氏管の通気を好くしてやる。
機上教官殿が「傘は皆の折畳んだものだ。お前達の腕に自信の有る限りは安心して飛べ」と暫く黙つて「必ず開くんだから」と付け足した。

「ハイッ」と皆んなで元気に答へたものゝ、一人々々別々に何が外の事を考へて居るらしい表情だ。
暫くはそれから無言だつたので、何も考へるともなくジーと眼を閉じて考へて居ると、まざ〃と野戦生活のありし日が浮んで来る。

それは、衛生部員としての野戦生活は余りにも平凡に考へられるが決してそうではない。
一緒に教育を受けた戦友は蟹の足でもにぎ取られる様に一人二人と此の世から去つて逝つた。
昨年の長沙第一次作戦で長沙を転戦して第二日目だつた。
或る小部落の泥田の中で三〇〇米ばかり泥の中に漬つたつけ。将校當番兵四名と下士官が三名だつたから確かに七名だつた。
病院の悲しさに武器と言つたら腰の帯剣が一梃きり。
あの時もやる瀬ない、いらいらした氣持だつた。敵の小銃弾が兵隊の背負つて居る洗面器に穴を開けてカチン〃と音を立て通つたり、薄赤茶けた稲の穂をビユン〃と千切つて頭に飛散する毎に亀の仔の様に首を縮め乍ら、受領した作戦命令や陣中日誌の原稿を入れた圖嚢を大切に抱へ乍らやもりの様に這つて進んだつけ。
そして糧秣やら部隊長殿の新しい軍靴や革脚絆を積んだ部隊を出る時、輜重班から貰つたチヤン馬が誰に盗まれたかあそこで居無くして了つた。
彼の糧秣は純日本米を大切に秘蔵して持つて歩いたものだし、軍靴も革脚絆も赤革の新品だつたから、火事泥の奴は大した収穫だつた筈だ。

等とあの當時を懐ひ出して「彼の時は俺は死んだんだ」と思つたら、今日はブレーキ付で降下するんだから大袈裟に考へる必要もない。騒ぐな落付けと自分が自分を慰めて居る。
そうかと思ふと又開くだらうか?と自問する。
否々必ず開くよ、開かないのは落下傘に精神が打込まつて居ないからだ。どうせ死んだつて一思いで却つてさつぱりするぢやないかと自答する。
亦此んな事を懐ひ出した。
部隊で志願者として第一次身体検査に合格した時、竹藪の露と消え去つたとか、ビツキ(茸の名)の様になつたとか、故衛生曹長だとか、戦友達から揶揄され、又自分でも其んなくだらん事を面白がつて他人事の様に聴き乍ら寝台上で倒立をやつたり、マツト運動をやつたり、戦友を誘き出しては鉄棒にブラ下がつて副官殿から笑はれた事を走馬燈の様に次から次へと懐ひ出しては硬ばつた顔面を苦笑させる。

飛行場より幾分飛んで来たが「茄子環を左肩へ出せ」と軽い教官殿の號令だ。
「そら愈々来たな」等と想ひ乍ら茄子環を左肩に出して掛ける。
心臓が新たに早く然し強く鼓動を打ち始めた。と、突然ビービービーと恰も地獄の底より響いて来る様な不気味な忘れることの出来ないぞつとする様な嫌な音律だ。
「今日は着地目測はやらなくとも良いぞ」
そして「立て」と教官殿が重たい號令を機内に拡め乍ら席を蹴つて昵うと地下を目測して居る。
降下者も席を立つた。
降下豫行訓練の時の様な恰好で全精神を、神経を、茄子環に集め乍らパイプに掛け二、三度引張つて見る。
異常なし。
今度はパイプを握つた儘気を落付く様に瞑目する。
年老いた母、肥つた父、兄や弟、近所隣の人々、故郷の山や川、切立つた岩壁に咲く彼の美麗な萬作の花、清い流れ等が走馬燈は愚か電光の様に脳裡をかすめる。
ビービー。
降下用意だ。
「窓を開けろ」と教官殿が手で合図をし乍ら叫んだ。
ぐうつと降下窓を開くと、機翼を洗ふ気流が恰も素晴しい嵐が亜鉛屋根を叩く様に名状し難い音が囂々として鼓膜を震はす。

前半部の上半身は気流にさらされて吹飛ばされそうだ。
頬ぺたの水分が飛ばされて木乃伊の様になりさうだ。
高度計は豫定課目より一〇〇米ばかり超過して居る。
「姿勢を執れ」と教官殿が號令した。しつかりと踏みこたへて姿勢を執る。

此の時「跳び下りるんだぞ」と神経のどつかで叫んだと思ふと全脳に閃めく様に拡まる。
併し「風當りが強い。これぢや開傘する迄錐揉みになるか、独楽廻しになるか知らんぞ」と妄想する。
「衛生部員の面子上、しつかりやれ。ヘマをするな。意気を見せてやれ」と應援の声が聞えて来る。
又實際衛生部の気合を見せてやり度い。

機は降下場上空に首を突込んだ。平均風と地上風を表した石灰の矢が二本地上を這つてゐる。
併し何米だかそんな悠長な事は網膜にも映じなければ神経も刺激されない。
「降下ッ」と同時に教官殿の手が尻のあたりを嫌つと言ふ程叩いたらしいが、毛虫の這つた程にも感せられなかつた。
併しそれも一時の出来事だ。
「エイッ」と反射的に裂昂の一声、跳出せば体は空中に踊る。と言つても實際は「儘よ」と飛び出したと言つた方が適当な言葉かも知れなかつた。
物凄い風圧を右側に感ずる。
視界は全く灰色に変つた。鯉のぼりが突風を喰つて逆立ちした時の様に頭が下になつて脚は開かなかつたが、膝関節が若干曲つた様だ。し身体全体が左方向に僅かづゝ旋つて行く様だ。
訳の判らない閃きが頭の中で葛藤した。
「変な恰好になつた」「不可ないツ」と思った瞬間、まぶしい光線にきら〃つと視神経が刺激されて全脳に閃めいたと思つた瞬間、ガツクンと然し軽い衝撃が来て恰度坐つた様な恰好になる。
此の時初めて「開いたんだ」と一人言を云つたもんだつた。
そして仰いで見ると、初めて「おゝ開いた」と何か發見でもした様に得々とした。
全く此の時程萬物に、草一本一本に迄も感謝の気持を抱いたことはなかつた。
之は初めて降下する者の知る事、感ずる事の出来る特権だ。

「尊い体験を得た。征服した。落下傘を吾が物にした」と頭が複雑になつた。
そして手足をばた〃させて狂喜したい程の焦燥にかり立てられた。
實際、感想だけを綴る時、歌を唄つたと書いたそうで、後で教官殿から誰だつたか叱られて居た事もあつた様だ。
視線を地面に向けると「アツ」何んと言ふ素晴しさだらう。
嘗つては飛行機より眺めた事象とは全く異にして脚下に拡げられた地面は一大パノラマの展開だ。
顕微鏡を覗く様な恰好で良く〃見ると、豆つぶ程の地上勤務員が白い運動服を着て青草の中をピチ〃泳ぎ廻つて居る。

恰度何んの事はない。地上勤務員の懸滴標本だ。
早速豫備傘を脱して一息する。
傘は降下して居るのか止まつて居るのか中々地上に近づく模様がないので焦つて来たが、遠くの部落を眺めて居る中に地上に近づいて来た。
余す所、地面迄一五〇米。豫備傘の手動索を握つて待ち兼ねて居る。
後一〇〇米。索を引いてぱつと投げてやると、主なき豫備傘はする〃と先に落下して行く。
直に着地姿勢を執つて降下地を凝視すると、物凄い勢いで大地が飛び出して来る。
バツタリ後方に叩かれて其の儘転回して傘を鎮める。
地上勤務員が走つて来る。
装帯を脱し、組の集合を待つて丘の上の地上教官殿の處迄申告に駈けて行く。

村田軍曹以下六名、第二十六號機搭乗課目終り。異常ナシ。
申告が終ると各自勤務員より傘を受領し、集合場所に集まつて、生れて初めての落下傘降下に対する感慨で誰しも胸が塞つて暫し無言。
それが過ぎると各自めい〃自慢話で暫し鳴り静まない。 

終り。








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