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空挺給水塔 其の4 ラシオ空挺作戦

Category : 第四部・ラシオ降下作戦 |

九月二日 水曜 晴
今日も朝から晴天だ。午後から慰問演芸を見に住吉八幡(※新名爪の島之内八幡神社と思われます)へ行く。
中々大掛りでほんとうに良くやって呉れた。隊からも出演し大いに笑はした。涙が出る位面白い事をやる。
今日一日中、大いに楽しかった。
道を歩いてゐても、地方の人々が頭を下げなさるが、只御苦労で有りますと云ふだけで、何とも云へないが、村人等の心中は吾々を何と思つてゐるかと思ふ。
吾々は南方(パレンバン)へ行っただけで、何にもやって帰ってゐないのに。
自分等は心苦しい。

井上祐子編「誠心」より 挺進第1連隊第4中隊 井上洋曹長の日誌

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C-1輸送機から台地上の航空自衛隊新田原基地へ降下する陸上自衛隊第一空挺団。
戦時中の陸軍落下傘部隊も、川南ではなく新田原飛行場一帯へ降下することがあったそうです。当時の人々が見たのは、おそらくこのような光景だったのでしょう。
スカイフェスタにて、日向新富駅付近

【海軍落下傘部隊のメナド降下作戦】

実は、「日本初の空挺作戦」はパレンバンではありません。
パレンバンよりも前に、海軍落下傘部隊が空挺作戦を行っています。

海軍落下傘部隊
セレベス(現在のスラウェシ)島北端のランゴアン飛行場へ降下する海軍横須賀鎮守府第1特別陸戦隊。ランゴアン飛行場とトンダノ湖カカス水上基地への攻撃は、メナド(現在の北スラウェシ州都マナド)に上陸する海軍陸戦隊を支援するための作戦でした。
「メナドに降下した」と誤解されやすいのですが、ランゴアン飛行場とメナド市街は全く別の場所にあります。
要するに「メナド攻略を支援するためのランゴアン・カカス降下作戦」なのですが、面倒なので「メナド降下作戦」と呼称します。
 
海軍の空挺作戦にも、パレンバンと同じくカメラマンが同行していました。
それが日本映画社の本間金資氏。
上海の司令部附として派遣されていた彼に、海軍報道班員の命が下ったのは日米開戦直後のことでした。従軍記者が続々と南方取材へ赴く中、本間カメラマンは内地に留め置かれたままとなります。
焦る本間さんに「南方行きの交通手段」として提示されたのが、いぜんハリウッド女優が来日した際、撮影会に赴いたことのある客船でした。航空機がダメなら、せめて駆逐艦で行きたいと願っていた彼は意気消沈します。
かつて煌びやかだった客船も、今は迷彩塗装を施され、兵士と兵器で溢れかえっていました。

その中で、異様な兵士の一群が本間さんの目を惹きました。
軍隊生活を見慣れた従軍記者たちにとって、輸送船上の兵士といえばノンビリ手紙を読んだり将棋をさしたりしているモノと決まっています。しかしその海軍兵らは、甲板上ですさまじい銃剣術の訓練に連日明け暮れているのです。

「Aさん、この部隊は不思議な部隊だと思はないか」
「さうなんだよ、毛色が違つてる」
「ちよつと變だらう」
「ちよつとぢやない。うんと違ふかも知れんよ」
「始めはね、僕は陸戦隊だと思つてたんだ。特別陸戦隊の精鋭部隊だとね。ところが、陸戦隊にしては○○が違ふだらう。第一、妙な梱包を持つてゐる」
「今日の夕食を済ませてからのことだ。僕が舷側のハンドレールにもたれてゐたとき、すぐそばに肩を並べてゐた兵隊が風速の話をしてゐるんだ。特別陸戦隊ではなく航空関係の部隊だつたのか。さう思つて僕は尋ねてみたのだ。―君たちは航空隊ですか―てね。さうしたら笑ひながらそれに似た部隊ですと言ふんだ。似た部隊だと言つただけで後は笑つてゐるんだ」

本間金資「カメラ従軍」より

本間カメラマンは、その中の一人に話しかけてみました。

「そんなに猛烈に見えますかね」
「全然猛烈ですよ。戦地へついたとき草臥(くたび)れはしませんか」
「輸送船の中でも、からだを休ませてゐると却つて駄目です。これでも自分たちとしては普通以下の訓練です。長期戦ですからね」
私は、「訓練に制限はあるまい」といふ東郷元帥の言葉を思ひ出した。
「特に自分たちの部隊は、どんな激しい戦闘をしても決して草臥れてはならない部隊です」
兵曹長は、ちょっと笑顔を見せてから私のそばを離れて行った。私はこの船に乗込んでからこのかた、見慣れない兵器類の多いことに加へて、この部隊の猛訓練に驚いてゐたが、驚きは尊敬に變つてこの部隊への親しみを急速度に増さしめた。
しかし、この部隊は何の目的を持つて猛訓練を輸送船の上でも續けてゐるのか、甲板できいた兵曹長の言葉の奥を考へても、この部隊の正體が私には不思議でならなかつた。


海軍体操に参加するなどして、本間さんと海軍兵らは次第に打ち解けていきます。
輸送船が戦地へ近づくと、海軍兵らは荷を解いて武器の手入れを始めました。いずれも特殊なカバンや梱包箱に詰め込まれたものばかりです。
そこでようやく、本間カメラマンはかつて観たドイツ空挺部隊のニュース映像を思い出します。

「わ、わかつた。僕は判つた。君たちは、落下傘兵でせう」
手入れの指揮をしてゐたK曹長は落着いて私を制した。
「普通の部隊ぢやありません」
さうか、やつぱり落下傘部隊だつたのか。ドイツやソ聯だけにあると思つてゐた落下傘部隊が日本にもあつたのだ。敵側米英でも落下傘兵が養成され、日本でも落下傘部隊が研究されてゐるといふ話はきいてゐた。しかしかうした船の上で落下傘兵と一緒にならうとは。出發前はもとより、今が今まで全く夢想だにしなかつたことだ。
私が眺めまはした部屋の隣には、棚の上に別種の鞄が整然と積まれ、その中央には注連が張られ御神酒までも供へられてゐる。鞄は、今はもう疑もない、確に白い絹傘を折畳んで納めたものである。


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現地へ到着した本間カメラマンは、空挺隊員らに別れを告げて前進基地へ向かいます。彼らを出迎えた少佐は、さっそく従軍取材を依頼。そして水筒と拳銃を渡しました。

「これは何發射てますか……」
「本間君、そんなにパチ〃射つことはないよ……。君、一發あればいいぢやないか」
T少佐は自分の人差し指をおもむろに顳顬に當てて微笑された。常に死地に身を曝す人だけが示すことのできる、誠に悠々とした微笑である。―成程さうか。
「申し譯ありません」
私は恐縮してしまつた。
「明日の戦闘では、君たちも敵前へ強行着陸することになる。覚悟はいいね」
決意も感情も顔に見せず、淡々として私達に接してゐるT少佐の底力を湛えた平静さは、報道班員と雖も生還を期し得ずといふ覚悟を私に固めさせてくれた。報道班員として君國に身を捧げる光榮を思ふとき、私は心ひそかに誇らずにはゐられない。ニュースに生きてニュースのために死ぬのだ。
しかも國家が與へた使命の前にアイモを抱いて散るのだ。私は渡された自決用の拳銃を握り締めた。
「君たちが従軍するのは落下傘部隊だ。目的地はセレベス島メナド。……メナド郊外にあるカカスといふオランダの飛行場だ」
私は自分の耳を疑つた。海軍落下傘部隊とは、今日○○島で訣れてきたばかりである。
「落下傘部隊ですか……」
T少佐は無言のまゝ大きく頷かれた。
この前進基地には、私たちが同船してゐた落下傘部隊とは別の部隊が既に待機してゐたのだ。こゝにも落下傘部隊がゐた―、まだ他にも居るかも知れない。よくもこんなに落下傘部隊を秘密のうちに日本は育てたものである。
私は落下傘部隊を撮影したかつたが、諦めてこの前進基地へ急遽着任したのであつた。ところが、よく〃私は落下傘部隊と縁があるのか、心を残しながら一旦諦めてしまつた落下傘部隊に、いよ〃従軍できるのだ。
しかもそれは、日本の歴史始まつて以來、最初に敵地に降下する落下傘兵である。


海軍によるメナド降下作戦は、1月11日に決行されました。

飛行艇に乗つてゐる兵士たちも、同じく落下傘兵であつた。この兵士たちは○○を持つて強行着水をする別種の任務を帯びてゐるため、降下する本隊を離れて飛行艇に乗りこんだのである。
耳に手を翳して兵士たちの方へ身を乗り出すと、しきりに―申譯ないなあ―といふ聲が聞きとれる。作戦の都合で降下しない役割に廻つたこれらの兵士が、降下兵に對して申譯ないと話してゐるのである。
更によく聞くと、今朝宿舎を出て水艇基地へ向かふとき、降下兵たちは飛行艇に乗りこむ兵と手を握り合つて、―済まない、申譯ない―と慰めてくれたのださうだ。降下兵から逆に慰められて飛行艇に乗りこんだ落下傘兵たちの氣持には、作戦の都合とは言へ、晴れの戦場へ降下できない無念さが残るのであらう。
私はもつとよく話を聞かうと、私の座席の後にゐる兵士に質問を書いた手帳を開いて鉛筆を差し出した。
―今朝、部隊進發當時の情況は―
―輸送機の出發前に別れた、不明―
前進基地の露に濡れた芝生の草を踏みしだいて行はれたであらう今朝の進發を、キヤメラに記録できなかつたのは心残りでならない。


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飛行機に乗込む海軍落下傘部隊員

幸運に恵まれたパレンバン作戦とは違い、メナド降下作戦は不運に見舞われます。
メナドへ向けた飛行中、敵編隊と誤認した味方偵察機から攻撃されて1機が墜落。空挺隊員は炎上する輸送機から脱出しますが、パラシュートに引火して飛行士と降下兵17名全員が墜落死しました。

「しばらくして敵機は一旋回、またも襲いかかってくる。
ダダダダダ、ダダダダダ……
敵味方の機銃音。
「アッ、味方機だ、同志討ちだ」
搭乗員が急に叫び出した。急いで機外を見れば、フロートを着けた味方零式観測機が、右下方に旋回していくところだ。
「馬鹿野郎!」
搭乗員と落下傘兵は、声を合わせて大声で怒鳴った。
「なんという青二才の、間抜け野郎だ」
危いところだった。
だが五番機は、すでに真黒な煙を吹きながら、次第に高度を下げて行く。
「陸地までの辛棒だ。五番機頑張れ」
味方の声援も甲斐なく、ついに両エンジン炎に包まれた。
さっと、五番機の跳出孔が開いて一人、二人、三人……落下傘兵が機外に脱出していく。瞬間、自動曳索が炎で焼切れて、開傘不能、そのまま落下傘兵は黒玉で落ちて行く。
高度六千メートルくらいか、次第に小さくなってやがて黒点となり、吸い込まれるように、下界に消えて行った。
「我れ自爆す―」
五番機は、無電を発して炎の尾を曳きながら、なおも海面に突っ込んでいく。
海上千メートルくらいか、五番機は遂に爆発した。
ぱっと白い落下傘が五ツ、空中に放り出された瞬間、たちまち火の傘となり、一ツ、ニツ……と焼け落ちて行く。
翼がキリキリ旋回しながらこれを追い越して海中に突っ込み、黒煙を上げている。
更に他の一機も、同じ状態で墜落した」
山辺雅男「海軍落下傘部隊 栄光と苦闘の戦歴」より

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濡れたやうに鮮明な芝生の緑が、ファインダーの窓の形のまゝに區切られ、直射光をうけた白雲がぽつかり右端いかゝつてゐる。褐灰色をした滑走路が左上隅からファインダーにせりこんできた。そこへ、輸送機編隊はカカス飛行場の北端から侵入して行った。三機、五機、滑走路をかすめる紫紺の機影。ファインダーにをさまる編隊の位置は絶好だ。
アイモのキーを押すばかりに待機してゐる私の耳許で、T少佐の大きな聲がした。
「落すぞ!準備はいいか」
よし來た。唇を噛んだ。いよ〃やるのか。私はぞくぞくツとした。
一瞬、二瞬。突然、敵の曳痕弾が白煙の尾をひいてファインダーの視界をかすめた。
今だ!
私は反射的にキーに触れてゐた指に力を入れた。爆音に掻き消されて聞えないが、待機の堰を切つたアイモは私の神経の中でジジゝゝゝゝゝと音を立てて廻りはじめた。
また一瞬、二瞬。一番機の尾翼の蔭に忽然と白いものが見えた。降下開始だ。
また一つ、續いてまた一つ―。機上から打出された砲煙かと見紛ふ白いかたまりは、風を孕んで圓形に膨んだ。開傘だ。見事な開傘だ。
二番機、三番機、四番機、五番機からも續いて白いものが一斉に現れ、雁行の列機は一群の白花を規則正しい瞬時の間隔をおいてふり撒きはじめた。小さな白圓が點々と列機の過ぎ去るあとに揺れて漂ふ。
細長い飛行場の緑を背景に、くつきりと小さく浮んだ白い豆菊のやうな花々である。
それは美しいと思ふよりか、居堪まれないほどの鮮烈な昂奮にかり立てられる白晝の戦場風景であつた。


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ランゴアンに降下する海軍落下傘部隊

降下寸前、二列縦隊になつて腰かけてゐる落下傘兵は、みんな顔に汗を滲ませてゐた。狭い機内が暑いからではなく、張り詰めるだけ張り詰めた緊張が、降下決行の瞬間を前にして冷たい汗を額に滲ませるのだ。
犇と肩を締めつけるやうな闘魂が、もり〃と五體にのたうち廻つてゐるのだ。爛と見開いた眼の光、全員の呼吸が一緒になつて吸はれ、一緒になつて吐かれる。
「おい、俺が歌を唱ふぞ」
振り返つたN曹長が唱ひ出したのは、今までの演習の際にも、降下直前になると必ず唱つた「海ゆかば」である。N曹長に伴れて全員が一斉に唱ひはじめた。
唱ひながらも、○番機の指揮をとるN曹長はこんないい兵隊をたとへ一人でも死なしてなるものかと思つた。
傘の點検は済ましたばかりだ。だが萬一にも不開傘で死なせたら、陛下に申譯けがない。―頼みはせじ……凄まじい氣魄を内にこめた合唱は終つた。
「いゝか、接地するまでは第一に死なないこと、第二にも死なないこと。それから、五番。前の者の曳索に氣をつけて跳べ。十○番、十○番、お前達は遅れてもいゝから、急ぐな」
偵察員の合圖によつて昇降口の扉が開けられた。そこから爆音がゴーッと吹き込んでくる。
高度○○メートル、合圖の號笛が鳴る。一番機の梱包卸下、續いて二番機の梱包。
「梱包卸せ」
「卸します」
梱包の傘が開くのを見つめてゐる横顔を、凄まじい勢で風がなぐりつけて行く。梱包につけた自動曳索がいつぱいに伸びてパツと白く傘が開いた。


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機窓に乗り出して顔を真正面に向けようとしても、風圧はぐい〃と押しまくつてくる。再び號笛が鳴つた。
「よし!」
N曹長は機窓を蹴つて身を躍らした。カカス飛行場の滑走路が焦點を外した視野でクラクラ―と揺れた。
全身の神経が背中に集中される。機窓にかけた吊輪の形がチラと頭に浮んだと思ふと、自動曳索が伸び切つて背中に着けた傘がたぐりだされてゐる音が感ぜられた。
あ、主傘體が出てゐる。身構へようとすると同時に、開傘だ。上から引き止められたやうな衝撃がドンと來て、思はず両腕を上に擧げた。鉄帽が頭にづしつとこたえる。
傘は完全に開いた。脚下に開いた傘がふはりと浮いてゐる。あれが自分達の梱包だ。その左の傘は○番機の隊長だ。續いてゐるのがT曹長の傘だ。一番左に浮いてゐるのが部隊長の傘だらう。N曹長はポケットを探つて拳銃を取り出し、安全装置をはづして右手に堅く握り締めたとき、ふと始めての落下傘降下を思ひ出した。


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海軍落下傘部隊のパラシュート降下

下から射ち出してゐる機銃の音が友軍機の爆音の中に聞える。もう五番も機窓を蹴つて跳び出した頃かと思つて上を見上げると、バサッと傘を貫く敵弾の音がした。
曳痕弾がシュル〃と伸びてきた。一條、二條、三條―、白煙の尾を曳いた曳痕弾は仰角を痙攣させたやうな弾道を描いて空へ伸びてきた。刻々と距離が縮まる地上を睨みつけると、走つてゐる敵兵が見える。滑走路の一角からパッと白い光が閃めいて濃い褐色煙がシュッと發射された。足裏がむづ痒いやうな感覚。頭の上で金属製の炸裂音がドーンと聞えた。N曹長はゆるい風圧を感じたと思ふと傘は左に流されはじめてゐた。
接地するまで死んでなるものか。こゝで死んではならないのだ。
第一に死なないこと、第二にも死なないこと、死んでは戦闘ができないのだ。僅か○○秒にすぎない接地までの降下が、かねて豫想してはゐたが實戦となるとこんなにも永く感ぜられるものであらうか。早く接地したい。氣ばかり焦るが、傘は今日に限つていつまでも空中に漂つてゐるやうにしか思はれない。
また敵弾が傘を貫いた。耳朶を突きさすやうな金属音をビューンと鳴らして敵弾がとほりすぎて行つた。早くも接地した傘がふんわりと形を崩すのが見える。敵の機銃音はますます激しさを増してゐる。敵は地上にバリケードを作つてゐる。拳銃を握り締めた掌をしつかり腰に當てた。だがまだ應射の時機でない。
地面の緑がにはかに速度を早めて盛り上がつてきた。よし、いよ〃接地だ。目の下に棘のやうに突き出たバリケートがある。ぐいと傘を操つてこれを避けた。膝を曲げて接地の姿勢をとつた。地上十メートル、うまい具合に傘は前に傾いて体は後に揺れた。この反動で接地の跳躍だ。


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演習中の帝国海軍落下傘部隊

危い、空に向けて削ぎ立てた竹槍がある。この竹槍で作られた槍襖の間に、巧みにN曹長は接地した。前のめりにちよつとよろめきながら、竹槍の根元を左手で掴まえた。
脱ぎ捨てた傘が風にふくらみかけてすぐ、傍のバリケートに引掛つた。敵弾はこの傘のあたりを目がけて集中してきた。間断なく射ちまくつてくる火網の中に顔を上げることもできない。
N曹長は草地にぴつたりと身を平にして伏せたまゝ、しばしはただ敵弾の錯綜した凄まじい音を聞くだけであつた。軽快な響を立てる敵の機銃がその中で數へられた。背中の上で友軍機の爆音を聞いたと思つた。應射してゐる味方の氣配はまだ感ぜられない。
傘はまだ續々と降下してゐるはずだ。
天と地の間、こゝでは今、最も激しい戦闘が火蓋を切られてゐるのに、銃聲だけが哮り狂つて、何物も生きて動いてゐないやうな錯覚の静寂があつた。


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飛行場の周囲からは敵の機銃が白煙の尾をひき、砲火が閃光を吐いて奔騰してくる。慌てふためいて落下傘を射ち捲つてゐる曳痕弾が憎らしい。先導の列機を追つて後續の列機が飛來し、後から後を追つて降下する落下傘の群落は、敵地の上空に熾烈な地上砲火を冒してかすかに北へ流されつゝ漂つてゐる。
壮烈といふよりはむしろ現實を超えて虚無と言ひたいほどの清冽な烈しさ。私はただ夢中になつてアイモを握り締めてゐた。
飛行艇は颯と翼端を白雲にかすめて旋回した。ぐいと横に押されて、私のからだは安定を失つた。
丸窓の枠に肘をついて立直りながら機内を見まはすと、兵士たちは窓に重なり合ふやうにして地上を凝視してゐる。互に額を丸窓のガラスに押し合ひ擦りつけ、大きな聲で喚いてゐるのだ。
私は今まで撮影に夢中になつてゐたため氣がつかなかつたのだが、兵士たちは本隊の降下を案じて、窓から見られない兵士に降下情況を教へようと叫び合つてゐるのであつた。
「第○編隊、○番機降下開始」
「開傘か」
「梱包卸下だ」
「○隊長は―」
「……開いた。○隊長開傘だ、……開いた」
「○番機は」
窓から覗けない兵士の一人は堪らなくなつたのだらう。私が撮影してゐる窓まで叫びながら駆け寄つてきて顔を擦りつけた。
「○番機には自分の隊長が乗つてゐる、見せて下さい」
いままで今日の日を期して、行動を共にしてきた戦友たちが、上官が、次々と降下挺身してゐるとき、飛行艇に乗りこんだ同じ落下傘兵であるこの兵士たちが、戦友の初陣を案じてゐる氣持の切なさ、それは大きく見開いた双の眼に涙を光らして、開傘だ、開傘だと叫んでゐる聲にも掬みとれる。


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ランゴアンに到達した空挺部隊は、遮蔽物の無い敵飛行場の真上に降りたことで凄まじい反撃を受けています。
敵トーチカからの激しい弾幕に阻まれ、投下した武器コンテナへ辿り着けずに拳銃だけで戦った者も少なくありませんでした。僅かな窪地を盾にしながらじりじりと前進するも、空挺部隊は20名の戦死者を出してしまいます。

接地した落下傘兵は、先づ火網の中を潜つて梱包を探し求めなくてはならない。敵は落下傘兵に梱包の兵器を握らせまいと掃射してくるのだ。
敵の機銃掃射の音にまじつて、断續的に友軍が狙ひ撃つてゐる拳銃の音が聞えてくる。タタタタッと響く友軍の機銃音はまだ聞かれない。誰もまだ梱包へ辿り着いた者が居ないのだ。
焦ら立つてくるとN兵曹長はぢつと身を伏せてゐられなくなつた。右足を引き寄せて身を起こすと、機銃音の僅かな隙を見つけて一散に駆け出した。膝に力がはいらない。七、八メートルも走つて草につまづいて転んだ。転ぶことには落下傘兵は馴れてゐる。転びながら腰を捻つて平に身を伏せると、尾を引いた曳痕弾が鉄帽の上を僅かに高くかすめ過ぎた。至近弾だ。
鉄帽一つが敵弾を遮蔽してくれるだけの草地に、顔を横向けにして擦りつけると、その視野に僅かに盛り上つた堆土が見えた。
N兵曹長はそこを目指して、また、野球の盗塁のやうな格好で頭からすべり込んだ。すべりこんでみると、すぐその近くには一人の兵が倒れてゐた、○番機に乗つてゐた○○の兵だ。口惜しさがこみ上げてくる。
武器が欲しい、機銃が欲しい。顔を横に擦りつけたまゝ、N兵曹長は兵器を納めた梱包を目で探し求めた。顎を支點にして腹這ひながら、からだをずらして梱包を探した。
だが視野の中には伏せてうごめいてゐる兵の姿は見えても、梱包らしい形は見出せない。
目をつむつてゆつくり息を吸ひこんだ。硝煙にまじつた草の香が埃つぽく匂つてきた。草の匂を嗅ぐ餘裕が自分にはあると思ふと、目をしやつきりと開けた。
日光がふりそゝいてゐるのだ。草の秀を小さな蟲がよぢ登つて行く。ふつと息を吐き出した途端に、蟲はぷいと飛び立つて行つた。

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「N兵曹長」
叫びながら跳びこんできたのは、N兵曹長に續いて降下したO兵曹の聲であつた。敵弾は激しく集中してきた。
「大丈夫か」
「大丈夫です」
顔を左側に來て伏せたO兵曹の方へ振り向けると、曳痕弾の弾道が硝子のやうにチラリと光つて頭上を薙いで通つた。そのまゝ顔を伏せる。背中をかすめるやうな敵弾の擦過音が絶え間なしに續く。堆土に弾着した敵弾が、鉄帽にばら〃と土砂を降らしてきた。
「N兵曹長、大丈夫ですか」
「大丈夫だ」
「梱包は―」
「まだだ―」
早く兵器を握らないと、このまゝでは全滅だ。もどかしく思つて見廻しても近くに梱包は落ちてゐない。友軍はまだ一つの梱包も手に入れてゐないのだ。
味方の銃聲といへば、鋭く刺すやうに鳴る拳銃の音だけである。N兵曹長は拳銃の弾倉を詰め替えた。
跳び出してどうしても兵器の梱包を掴まねばならない。敵機銃の連續音が僅か断たれる間隙を顎を地に擦りつけて待つた。
その間隙をねらつて跳び出すのだ。呼吸を止めて耳を澄ました。
突然、耳を劈くやうな急降下の翼音が響いてきたかと思ふと、颯と機影が芝生をかすめて通り過ぎた。思はず顔を起すと機翼に日の丸だ。友軍機の地上掩護射撃だ。
一機が上昇すると、すぐそのあとから次の一機が地上すれ〃に突つ込んでくる。連續する急降下音に敵の射撃がちよつとたじろいだ。
今だ。N兵曹長は梱包の落ちた方角を狙つてまた駆け出して行つた。敵の火點を目がけて突込んで行く兵の姿が右手に見えた。再び機銃弾は唸つてきた。
N兵曹長は転がつて身を伏せた。火網の中、そこに身じろぎもできない。


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第○部隊の突入だ。編隊の列機からたぐり出されるやうに、間隙正しく飛び出す白い絹傘は、何の躊躇もなく紺青の空に静々と舞ひ降りてゐる。敵の機銃は銃口を空に向けて、曳痕弾の弾道が落下する傘を狙つて交叉し、その弾幕の中を第○部隊の兵士が續々と降下をつづけてゐる。
敵の地上火器が慌てて空へ向けられた隙をねらつて、接地してゐた友軍は梱包に向つて駆けて行つた。友軍の喊聲が起つた。
滑走路前面のトーチカへ突撃して行く友軍の喊聲だ。隊長の振上げた拳銃がキラリと光る。友軍の擲弾筒の弾丸が敵のトーチカの掩體に炸裂した。友軍は漸く兵器を握つたのだ。
N曹長は跳ね起きると共に駆け出した。駆け出した途端に激しく横なぐりに突きのめされ、芝生に叩きつけられながらころ〃と転がつた。草を噛んで転つた眼の前に、左肩を血潮に染めた戦友が倒れてゐた。
ビューンと音を立てて敵弾が芝生の草を薙いで過ぎる。N曹長は倒れてゐる戦友のそばへ身を匍つて近づいた。倒れてゐる兵士はもく〃と身を動かしたかと思ふと、眼をぱつと見開いてN曹長を凝視した。
「しつかりしろ!」
倒れた兵は胸においた右手を拳銃の引金にかけたまゝ、一度瞬いたかと思ふとそのまゝ息は絶えてしまつた。N曹長は鐡帽をぬがせて戦死した兵の顔の上に置いた。その時初めて、自分の右手が敵弾にやられてゐるのを知つた。右手の拳銃を左手へ掴みとつた。
椰子林の中のトーチカは左前方へ約三十メートル。N曹長は拳銃を握つた左腕で草の中を泳ぎながら、匍匐して右へ右へと迂廻した。単身トーチカを攻撃するため、前面トーチカの死角に入るのだ。


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本間カメラマンらは、落下傘部隊の速射砲部隊や医療班と共に飛行艇に搭乗。敵機との遭遇や激しいスコールによる機内の雨漏りなどに苦しみつつメナドを通過、ランゴアン上空へ到達します。
そして攻撃部隊のパラシュート降下を撮影しながらトンダノ湖へ着水しました。

飛行艇はなほ旋回飛行をつづけた。無電員が何を受信したのか紙片をT少佐へ差出した。漸く顔を和げて頷いたT少佐は、その紙片をO機長に示して機窓を指さした。機窓にはトンダノ湖が見えた。
右へ旋回して高度を下げた飛行艇は、カカスの民家の屋根と湖畔の樹木の梢を爆風圏にかすめて、すべるやうな着水姿勢をとつた。いよ〃強行着水を決行するのだ。
白い水脈を曳いて飛行艇はトンダノ湖に着水した。機首をカカスの部落にめぐらせてプロペラの回転が次第に止まると、しいんとした静寂が一瞬あつた。
と思ふのも束の間であつた。湖を縁どつた椰子林にこだまして砲聲が耳朶をゆすつた。敵味方の機銃音が入り乱れて響いてくる。
これは激戦だ―、さう思ひながら、私は雑嚢と水筒を肩にかけ、アイモとフィルムを背に着けて少佐の指揮を待つた。こだまする砲聲は熾烈である。ピュン、ピュンと敵弾が飛行艇を狙つて集中してきた。
「應射だ!」
機銃を握つたS一水が機窓から出て機翼の上へよぢ登つて行つた。その後を弾倉を持つた兵士が續く。敵の射ち出す機銃は飛行艇に向つて注がれ、曳痕弾は背後の湖面に乱れた。


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トンダノ湖に着水した2機の飛行艇は、敵の銃撃をかわしながら30分ほど水の上をグルグル回っていました。
本間カメラマンらは速射砲部隊と共に上陸し、飛行場での戦闘を終えた空挺隊員らと合流します。

漸々機関銃の音は近付いて來る。さうするとたツた二人の兵隊が極く小さなボートですが、其のボートを敵の中から探して持つて來た。急いで直ぐに上陸しなければならぬ。もう其の時は益々銃聲が近くに聞えまして、心配で堪りませぬ。私もキヤメラマンとして恥かしいやうですが、これは撮るどころぢやない。お手傳をしなければならぬ。
それで私と報道班員は二人居りました、手傳はうぢやないか。それから一生懸命ボートに乗りまして、さうすると只今参りましたと言つて、見ると兵隊はどの位居りますか、ゴチヤ〃になつて來て居ります。色々話をしまして、どうも申譯ありませぬ、イヤどうしたとか言つて居りましたが、兎に角急ぎませう。ぢア急げと云ふので、小さいボートで又何遍も兵器を運びました。私も一緒にやつて、大きいものがありますから、安達君担がうぢやないか、ウン俺もさう思つて居たと言つて、担ぐとなか〃重い。中腰になつて、背が高いから片方を担ぐ。私も色々のものを持つて中腰になつてやる。中々難かしいです。さう斯うして居る中に道路に出まして、それ組立てろと云ふことで一生懸命組立てて飛行場に急ぎました。


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ランゴアン飛行場を占拠後、カカス水上基地へ進撃する海軍落下傘部隊

トンダノ湖の水上基地の占領に向かつたK兵曹長の一隊は、カカスの部落へ通ずる牧場の三叉路で、椰子林から遁走した敵の装甲自動車に遭遇した。道を曲つた途端に、僅か二十メートルの接近距離で出合頭に相對したのだ。
咄嗟に道の上に伏せた落下傘兵は、機先を制して軽機の引金に當てた指を引き、真正面から敵の装甲車に掃射を喰らはせた。敵も不意の遭遇に進退を失ひ、停止したまゝ装甲を恃んで應射の雨を降らして來た。
砲塔から突き出た砲口から、ガンと閃光が煌いた刹那、道に伏せた軽機は砂煙に包まれてしまつた。しかし、その砂煙の中から猛然と落下傘兵の○○式軽機は火を吐きつづけた。
撃ち負けた装甲車はたじろいで後退しかけた。その機會を捉へたK兵曹長は、咄嗟に砂煙の中を猛然と敵前へ殺到して行つた。軽の射手も駆けた。
装甲車に乗つてゐた敵兵は、道路をはさんだ林の中へ転がるやうに這入した。装甲車に飛附いた軽機射手は、砲塔にかけ上つて軍艦旗を翻した。K兵曹長が拳銃を發射して車内へ躍り込むと、胸を貫かれた青い軍服の運転兵がくづ折れて倒れてゐた。

夕方までにランゴアン飛行場とカカス基地を攻略した空挺部隊は、そのままメナド市街へ長距離移動。こちらでの抵抗は殆どなく、無事占領に成功しました。

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メナド市街での戦闘

占領されたランゴアン飛行場には、次々と輸送機が着陸し始めます。そこで取材していた本間カメラマンは、地上から第2次増援部隊のパラシュート降下を撮影。
さらに取材を続ける本間カメラマンは、2月14日に陸軍落下傘部隊もパレンバンに降下したこと、メナド降下作戦に同行したのが横須賀鎮守府第1特別陸戦隊であり、輸送船で同乗した部隊は2月20日のクーパン降下作戦に投入された横須賀鎮守府第3特別陸戦隊であったことを知りました。

セレベスへ海軍落下傘部隊が降下してから、シンガポール陥落前日の二月十四日、この日陸軍落下傘部隊がスマトラ島パレンバンへ突如として降下し、こゝにはじめてわが落下傘部隊の活躍が國民の前に報道された。
○○基地の司令部へ帰還した私は、その後主として比島方面の航空作戦に従軍してゐたのであるが、海軍落下傘部隊戦況記録のニュース映畫が發表されるまでには、その間一ケ月以上の日子があつた。昂奮のあまり撮影は失敗に終わつたかと思ひつづけてゐた私に、大本営報道部から撮影良好なり―といふ知らせが届くまで、絶えず撮影の結果を心配してゐたのだ。
それと、も一つ私には氣になることがあつた。それは私が輸送船で一緒に乗り合はした落下傘部隊の消息であつた。烈しい負け抜き剣術を甲板で闘つてゐた落下傘兵たちが、いつ何處で降下作戦を決行するかといふことであつた。
二月二十日、チモール島クーパンへ奇襲降下した海軍落下傘部隊こそ、私が輸送船の中で猛訓練に眼をみはつた部隊であつた。

海軍空挺部隊の不運は続きます。初陣であるメナド降下作戦の報道は、陸軍のパレンバン作戦が終った2月16日まで差し止めとなってしまったのです。
この報道管制はパレンバン作戦まで空挺部隊の動きを秘匿する為のもの。
しかし、先にメナドを襲撃された連合軍側は日本軍空挺部隊の脅威を理解していた訳です。意味があったのでしょうか?

一番槍の栄光を、陸軍落下傘部隊に横取りされてしまった感のある海軍落下傘部隊。しかし面白いことに、陸軍落下傘部隊の拠点である宮崎では「逆転現象」が起きています。
地方ではシンガポール陥落やメナド降下作戦のニュースが先に報道された為、地元部隊である陸軍落下傘部隊の記事は後回しになってしまったのです。

新聞発表は2月22日までズレ込みましたが、それより早くパレンバン降下作戦の噂は広まります。新田原飛行場のある富田村(現新富町)では祝賀パレードまで行われました。

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一里に亘る旗の大行列
富田村では全村民一人残らず、午前八時半に集合整列、揃つて神社に皇軍の武運加護の感謝禮拝をなし、戦勝を報告し、午前九時全員富田小学校に集合して富田小学校のブラスバンド部を先頭に校旗、在郷軍人分會旗、振興隊旗是に続き、在郷軍人を先頭に消防團、青年團、婦人團、学校、役場、組合の職員、國民学校生徒等、手には大小とりどりの旗を打振り蜿蜒一里にわたる大行列の旗の波は富田校庭を出発し西部〇〇部隊に堂ゝ行進し、中越村長祝賀挨拶あり、〇〇部隊長の祝賀挨拶並に銃後國民の進む可き途を指示し、自覚を要請せらるるところあり、村民堂々職域に邁進するの決意をなし、十二時東条首相の発声によるラヂオを通じての萬歳に唱和し解散した。
いずれも日向日日新聞より 昭和17年2月18日

【ラシオ降下作戦】

さて、ここで作戦実施直後のパレンバンに話を戻します。
プノンペンで挺進第2聯隊の出撃を見送った挺進第1聯隊は、2月22日にスンゲーパタニーへ移動。そこでバンカランプランタンやサバンへの次期空挺作戦に備えていました。

武田丈夫第1聯隊長は懸命に部下を鼓舞します。
第二聯隊はパレンバンに降下して大戦果を挙げた。我々は先を越されたのだ。こんな残念なことはない。しかし、まだ戦は続いている。今度こそは我々の番だ。しっかりやろう(斉藤正之氏)」

しかし、緒戦における日本軍の進撃は予想外の順調さであり、空挺部隊の出番はなかなか巡ってきませんでした。

パレンバンに続く「ラシオ降下作戦」は、ビルマ(現在のミャンマー)への侵攻に伴って計画されました。
マレー攻略作戦に関連し、問題となったのが「援蒋ルート」の南端であるビルマへの対処。
日本軍を中国へ釘付けにするため、連合国は蒋介石政府への援助を強めていました。ラングーン(現在のヤンゴン)に荷揚げされた大量の支援物資は、鉄道とトラックにより雲南省へと送り込まれていたのです。
これを遮断すべく、第15軍(第33師団および第55師団)とビルマ独立義勇軍は険しい山脈を踏破。英印軍第17インド師団を撃退して3月8日にラングーンを占領しました。

更に増強された日本軍は、第18、33、55、56の各師団をもってビルマ内の中国軍を包囲殲滅する作戦に出ます。3月30日に第55師団がトングーを占拠したのに続き、4月2日には第33師団がプロームも占領。
第18、56師団が到着するのを待って作戦が開始されました。
包囲作戦の目標とされたのが、援蒋ルート上の要衝ラシオ。
そして、陸軍空挺部隊はラシオを目指す第56師団の支援を命令されました。

パレンバン降下作戦終了後、第1挺進団はプノンペンで次期作戦の準備に取り掛かっていました。
そこへ届いたのがラシオの制圧命令です。パレンバンから戻ったばかりの挺進第2聯隊は作戦から除外され、ビルマへ進出するのは第1挺進団の残存兵力となりました。
4月3日、木下中佐率いる先発隊がミンガラトン飛行場ヘ到着。続いて、パラチフス感染から恢復した挺進第1聯隊と、パレンバン作戦に参加しなかった挺進第2聯隊の足立中隊および川畑小隊が海路でラングーンヘ向かいました。
4月12日に到着した両聯隊は、17日から第5飛行集団の指揮下に入ります。

第15軍と第5飛行集団の立てたラシオ攻撃計画は、まず4月中旬から第56師団でシャン高原を攻略。続いてビルマ駐留中国軍の撤退と雲南からの援軍を妨害する為に、雲南~マンダレー間にあるラシオを空挺部隊で占拠。第56師団と合流し、第15軍の総力を以て中国軍を包囲殲滅するというものでした。

作戦に備え、第15軍の飯田司令官と第5飛行集団の小畑中将はトングーへ進出。ラングーンで演習中の空挺部隊も連絡担当の木下中佐をトングーへ派遣します。

このとき立案されたラシオ空挺作戦は下記のとおり。

・第一次挺進部隊
挺進第1聯隊主力の450名は、ラシオにパラシュート降下して中国軍兵営を急襲。続いて南方の高地を占領して敵の退路を遮断。

・第二次挺進部隊
挺進第1聯隊の壺井中隊および挺進第2聯隊の足立中隊・川畑小隊の計450名は飛行場を急襲。まず田中賢一中尉指揮の機関銃小隊24名(重機関銃1、軽機関銃7)を飛行機で強行着陸させ、その援護射撃を受けながら壺井・足立・川畑の各隊がパラシュート降下して飛行場を占拠。
続いて駅を占拠し、列車で救援に駆けつけようとする中国軍新編第66軍を阻止。

・久米団長機
パレンバン同様、久米団長も飛行場へ強行着陸してラシオ占拠の指揮にあたる。
・挺進飛行隊
新原少佐率いる挺進飛行隊は4月26日にラングーンヘ進出、筒井中隊(ロ式輸送機)、板野中隊(ロ式)、松渕中隊(MC輸送機)、飯渕中隊(MC)、新海中隊(MC)の5個中隊で空挺隊を輸送。
物資投下、直掩、地上攻撃の各支援飛行隊も参加。

ビルマ攻略は激戦となりました。
連合軍航空部隊の奮闘に苦しめられたものの、遂に日本軍は制空権を確保。地上では中国新編第38師との攻防が展開される中、第56師団はシャン高原への快進撃を続けました。
戦況は目まぐるしく変化し、空挺部隊投入のタイミングはなかなか掴めません。
久米団長は4月26日の作戦決行を具申するも、小畑中将は56師団の進撃を見守り続けます。降下作戦が早過ぎると、56師団のラシオ到達前に空挺部隊が敵中に孤立し、全滅する可能性がありました。

そして、作戦決行日とされたのは4月29日。
挺進飛行隊は26日、空挺部隊は28日にトングーへと進出しました。

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機内の陸軍空挺隊員

昭和17年4月29日朝、挺進飛行隊は計1000名の空挺隊員を載せてトングー飛行場を離陸します。
シャン高原を越え、大編隊はラシオを目指しました。

ラシオは目前に見えて、あと数分行程に迫った。降下準備のブザーの合図があって機内は緊張の極に達し、第1聯隊先頭降下者副官神田中尉は飛行機の扉を開いて跳下姿勢を以て待機し、2番降下の聯隊長武田少佐も満面緊張させて時機遅しと待っている。窓を通じてラシオを望めば、ラシオ周辺の高地は何たる事か、黒雲に掩われて進入の余地は寸分もない。
強いて進入せば山腹に衝突する以外考えられない。新原戦隊長は決心して回頭、基地に帰還を決し、大編隊はこれに従って旋回した。帰還途中第1聯隊第1中隊新保曹長以下の搭乗機が故障の為ジャングル内に墜落し(実際は雲の中で行方不明に)、又トングウ飛行場着陸直前片発で帰航中の副島中尉以下搭乗の飛行機が、戦友衆視の前で墜落炎上。飛行機と併せて30余名の戦死者を出したのは返す返すも残念であった。
帰還后、第56師団が本日昼頃ラシオ市に突入したことが判り、挺進作戦の中止を命ぜられた。
久米大佐は支那軍の退路ラシオは我第56師団で押えたので、マンダレーよりイラワヂ河右岸平地を経て北部ビルマ及西部ビルマに退却する要衝シユエボ市(城壁のある都市)に挺進して退路を遮断すべく意見具申したが、遂に実現の運に恵まれず、挺進第1聯隊は又もや不幸無念の歯ぎしりを禁じ得なかった

空挺戦友会資料より

昭和十七年四月二十九日(天長節)
トングー飛行場を発進した百機を越す大編隊の中に身を置き、もういつ死んでも悔いはないと思ったのは、あに奥山一人ではなかった。ところが、戦の神は、何故この連隊に酷なのか。
ラシオの手前十分行程のところを、厚く閉ざす密雲は、大編隊の進入を許さず、遂に途中で引返す運命となった。
傷心の落下傘兵を乗せた輸送機は、発進したトング―飛行場に次々と帰来したが、片発故障し辛じて飛行していた一機は、飛行場目前にして失速墜落してしまった。
これに搭乗していたのが、副島中尉以下第四中隊の将兵であった。敵の戦車と渡り合うため、全員地雷を胸に装着していたから、物凄い火柱が上った。
奥山は真先に現場に駆けつけた。機体の破片は広い範囲に散乱しているが、人員は形を留めていない。
「副島、金田、中島……」
と死んだ将兵の名前を呼びながら、奥山はまだくすぶり続けている破片の間をふみ分けて、肉片の一つ一つを拾い集めていった。

田中賢一「帰らぬ空挺部隊」より

2機の損害と30名以上の死者・行方不明者を出してラシオ降下作戦は中止となりました。
この作戦における殉職者は下記のとおり。

挺進飛行隊
・第4中隊
古川武大尉(24)
岡部貞男准尉(27)
四元泰憲曹長(24)
戸澤一曹長(24)

挺進第1聯隊
副島馨大尉(24)
大江忠准尉(27)
伊藤植太准尉(26)
大倉光隆准尉(27)
金田庄助曹長(25)
鹽里傳曹長(26)
小林秀圓曹長(27)
羽藤笹一曹長(25)
高野淸曹長(23)
小澤活曹長(24)
福王子秀一軍曹(24)
中島三郎上等兵(24)

神保機搭乗員
機体未発見につき全員の生死不明(氏名略)

パレンバンとラシオの降下作戦以外に、南方作戦中の空挺隊では少なからぬ事故死・病死者を出しました。

昭和17年
3月25日 挺進第2聯隊第4中隊の大谷俊夫曹長(26)が台湾にて事故死
5月17日 プノンペン兵站病院にて挺進飛行隊第3中隊の星野儀作兵長が病死
5月24日 輸送船上で挺進第1聯隊の岡本光雄軍曹(22)が病死
5月31日 プノンペンで挺進飛行隊第1中隊の筒井四郎少佐(27)が事故死
6月1日 プノンペンで治療中だった挺進飛行第1中隊の奥村修准尉(28)が死亡
6月2日 昭南島にて第2聯隊臨時第5中隊の來野來兵長(24)が病死
6月5日 ラングーンにて第2聯隊臨時第5中隊の松本周二上等兵(23)が病死
第一挺進團司令部「別冊 昭和十七年 自一月 至六月 戦没者名簿(昭和17年8月9日作成)」より抜粋

この中で、写真などの詳細が残されているのは筒井・奥村両名の殉職事故のみ。
「プノンペンを発ってサイゴンまで、ロ式(※ロ式輸送機)による最後の飛行を行った際、戦隊の第1中隊長筒井四郎中尉は、いつもの通り先頭で離陸した。
高度五〇メートル位のとき、エンジンの故障だったろうか、飛行場の端から二、三百メートル程の所に不時着し焔に包まれた。
一名が機外に投出されて助かったが、筒井中尉以下数名は焼死した(※実際の死者は二名のみ)。
パレンバン作戦でもラシオ作戦でも、筒井機は副操縦席に新原戦隊長を載せ、編隊群の先頭に在った。
最後の飛行では新原少佐は乗っていなかったが、中隊長と運命を共にしたのは栄あるクルーだった」
全日本空挺同志会の資料より

【宮崎への帰還】

5月23日、戦況が落ち付いたことで第1挺進團に撤収命令が出されます。空挺隊員はラングーンから出港し、7月4日に宮崎へ帰還しました。
6月6日に挺進飛行隊も西貢(サイクン)を離陸し、11日に新田原飛行場へ戻っています。

輸送船の沈没、馴れぬ気候風土、激しい戦闘、頻繁な移動、不足する休養。
出撃した第1挺進團の疲弊は甚だしく、東南アジアに展開していた半年間に延1808名もの死傷・戦病者(パレンバンとラシオの戦死・行方不明者57名、戦傷死1名、病死8名を含む)を出してしまいました。
出征部隊の帰還により、新田原飛行場では南方作戦で命を落とした空挺隊員の慰霊祭が開催されています。

同時に、戦力回復と共にパレンバンとラシオで得られた戦訓の評価も進められました。特に問題視されたのが、空挺作戦における制空権と火力です。
理想的なのは、ラシオのように制空権が確保されていたケース。
しかし、パレンバンのように敵戦闘機が跳梁する中での作戦強行もあり得ます。たまたま敵機が出払っていたパレンバン降下作戦は、運が良かっただけのお話。
空の上で本格的な迎撃を受ければ、直掩機だけで挺進飛行隊を護り切れる保証はありません。敵機との遭遇を避け、奇襲の効果を高める為の手段として夜間挺進・夜間降下訓練が導入されました。

もうひとつの問題が、パレンバンで露呈した貧弱な火力。
輸送機で運んだり、パラシュート降下時に携行できる武器には限界があります。
パレンバンでは輸送機から投下された物資の捜索に貴重な時間を浪費し、更にはジャングルや湿地帯に阻まれて投下コンテナを発見できないケースも多発。携行の拳銃と手榴弾だけで戦う派目になった隊員もいました。
空挺作戦に重火器や車両まで投入する手段として、グライダー部隊の新設が提唱されます。

挺進第1連隊と挺進第2連隊、そして挺進飛行隊が帰国したことで、新田原飛行場周辺は空挺隊員で溢れかえります。
彼らが南方へ出撃中に挺進第3連隊と挺進第4連隊が新設され、陸軍落下傘部隊の規模は倍になっていたのです。

戦場から戻った挺進第1連隊員はというと、日々の演習や新規入隊者の指導、銃剣術の練習などに打ち込んでいました。
休日には宮崎市内で映画を楽しんでいたことも記されています。ただし、沈没事故で戦機を逸したことへの鬱憤がケンカ沙汰へ発展する事も珍しくなかったとか。

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挺進第1連隊の兵舎があった日向住吉は、農家が点在する海岸の砂丘地帯でした。現在も広大な防風林と耕作地が広がっています。画像は当時の高等農林学校住吉牧場(現在の宮崎大学農学部住吉フィールド)。

十月二十三日 金曜
今日は例大祭である。宮崎神宮に参拝。足も軽く宮崎市に出た。もう汗も出ないので兵舎から歩いた。氣持良い。映畫館の前はスピーカーが大きな声で人を呼んでゐる。二十時頃はもう町は淋しくなる。満洲かビルマの方に行きたくなる様な氣がする。内地も厭になった。久し振りに酒をやったが参った。

十月二十四日 土曜
朝は中々寒くなった。寒くなれば暖かくなれば良いと思ふ。去年は冬知らずであった(※パレンバン出撃のため)が、今年は此の不完全な兵舎で冬を過ごさねばならぬ。夏はぼやっとするが冬は氣がしゃんとする。九州はあたたかいと聞くが判らない。午前中は手榴弾の競技會だ。銃眼の方は自身が無い。それでも練習が第一だ。第一内務班は一番であった。割に平均良い点を取る。

十月二十五日 日曜
今日は日曜日。皆外出したが井上等は消防隊で残留だ。一日外出しないと四、五円は異ふからなあ。もう外出しても十円も十五円も使はない。何時になったら子供の様な氣が無くなるのだろうか。

十月二十六日 月曜
本日から宮崎神宮の御祭だ。九州へ來て初めて見る。部隊の参拝は二度目、南方から無事帰った御礼に参拝した。行事中は静かな事。心の底迄清められた様に思ふ。思ふのでは無い。清められたのだ。あの心境で何時も居れば悪い事は出來ない。永い間立ってゐるので腰の痛い事。二千六百年の観兵式の時はもっと痛かった。忘れられない。

井上祐子編「誠心」より 挺進第1連隊第4中隊 井上洋曹長の日誌


(第五部へ続く)
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