金属アレルギー 敏感肌 化粧品

スポンサーサイト

Category : スポンサー広告 |

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

近況

Category : 近況報告 |

進捗状況とか書いていきます。
FC2ブログは、1か月新着記事が無いと妙なメッセージが表示されるので仕方なく。
このブログは過去記事を加筆修正していく作業が中心ですから、結構困ります。

2016年
第1四半期
大掃除をしたら空挺関係の資料がどこかに埋まってしまったので、次の本雪崩が起きるまで停滞。
第2四半期
杉花粉が脳味噌に作用したのか、鼻水垂らしながら撮って来た写真が行方不明。記事が投稿できない。
第3四半期
赤江の掩体壕前で開催されたイベントを見に行って、地域の戦跡保存には「慰霊」や「反戦」以外の手法もあるかもしれない、と感心した次第。音楽あり、飲食あり、フラメンコあり、歴史講座ありの興味深い試みだった。悲惨な歴史があるからといって、21世紀の人まで沈痛な面持ちで集まる必要はないし。
ただ、近隣の人が「何かのお祭りですか?」などと尋ねてきたので、宣伝方法や地元イベントとの共催といった検討課題もあるのかなあ。とにかく来年も継続してほしい。



2015年
第1四半期
・桜の季節を待って小林飛行場の調査再開。何も残っていないから、せめて華が欲しい。
・滑空歩兵関係の本が出版されたので読んでみました。今迄の竹内浩三批評が無視してきた、他の滑空歩兵隊員にも目を向けた内容。このブログからも写真などが一部引用されているのを発見し、嬉しく思いつつもああああああああ本に載るなら安物カメラで撮るんじゃなかった!と後悔しております。
こういうのは偶にある事ですし。
↓こことか
ameblo.jp/pinotya/entry-11594516888.html
↓こことかもそうですね。
http://blog.goo.ne.jp/ushiki111/e/ad376e37d24d94e2bd6094240e79380e
ドイツ版Wikipediaの某記事に至ってはこのブログが画像供給源になっており、それを日本版がコピーしてたりして何が何やら。

第2四半期
・連休中に志布志周辺の戦時遺構を探索。山中をさ迷うも何の収穫も得られないまま下山となり、海辺にてシオマネキを観察してました。
第3四半期
・イロイロあって「西都の飛行場」について調べているのですが、手掛かり全くナシ。どうしよう。
・戦後70周年を迎える今夏は、戦時の宮崎に関する展示イベントが開催されました。特攻に焦点をあてたミリタリー主体のもの(なぜか、宮崎とは無関係の大和や信濃も展示されていましたが)、戦時の思い出の品を集めたもの、反戦や原爆がテーマのもの、小学生や郷土史家による戦跡の調査結果などなど、イロイロな切り口の内容に大変勉強になりました。
・第4四半期
川南の戦没者慰霊祭は年々縮小の一途を辿っているような。今年は軽トラ市も無しで寂しい限り。

2014年
第1四半期
・ツイッター上で情報収集しようとしたのですが、「挺進連隊」で検索してもタイムラインが大量のパレンバン&バレンタインネタに埋没しており、殆んど成果ナシ。
次に「義烈空挺隊」でツイッター検索をかけたら、当ブログからイロイロ流出しているのを見つけてコーヒー吹きました。
エゴサーチしてもさっぱり引っ掛からず、過疎ブログの悲哀を味わっていた日々にさようなら。いつの間にやらリソースとして役立っていたみたいで何よりです。
・ツイッターはどうでもいいとして、長らく放置していた記事に着手しました。桜の季節なので軍馬補充部小林派出部や小林飛行場の記事を書こうとしたら、例によって資料が行方不明。
第2四半期
・挺進飛行隊や滑空歩兵の記事を修正しようと、筑波日記を読み返しております。本家ブログで黄瀛について書いたときも思ったんですけど、詩人の評論にはイメージ戦略も大事なんですねえ。
・川南は昔から一次産業が中心なので、試しに農業、畜産、林業、教育関係の資料を漁ったら、唐瀬原飛行場の記録が出て来てきました。だったらアレとかアレ方面も掘ってみたらイロイロ新発見があるかもしれません。
・指宿への出張ついでに知覧へ寄ってみました。「以前訪問した時より展示物が増えたな」と思ったら、某映画で使用したレプリカが追加されたのだとか。
特攻平和会館の空挺関連史料を見学した後は、隣の知覧ミュージアムへ。ちょうど「知覧からの手紙」展の会場にて義号作戦の史料を展示中で、はるばる知覧まで来た甲斐がありました。
第3四半期
・毎夏に宮崎日日新聞がやっている終戦特集、いつか纏めて欲しいなあ。まさか、魚雷艇基地の記念碑が残っていたとは。県立図書館の小柳次一写真展(8月17日まで)も、初めて知る義烈空挺隊の写真や解説があって勉強になりました。生頼画伯といい小柳氏といい、県で常設展示できないもんですかね。
第4四半期
・宮崎県の第12回「新聞」感想文コンクール中学生の部で、最優秀作品が川南給水塔の話とのこと。マジかと思って新聞読んだらマジでした。
・11月23日は川南空挺慰霊祭の日。参列者の減少が心配される中、今年は「行事の運営費に苦労している」というお話まで。今後、慰霊祭はどうなっていくのでしょうか?クリスマスまで残り1ヵ月となったこの時期に、唐瀬原飛行場の痕跡を探していたらヤブ蚊に刺されまくった連休中日。
・新田原スカイフェスタで旧軍挺進部隊の展示を見ていたら、新発見が幾つか。新田原基地パンフレットの「挺身」の誤記はどうにかならないものか。

2013年
・日本版Wikipediaから辿って、ドイツや韓国からのアクセス急増理由が判明しました。
妙なアクセスといえば、他のサイトでいつの間にか東飛行場の記事が丸パクリされていたのが発覚。
・長過ぎてガラケーでは全て表示されなかったりしたこのブログ。そろそろスマホでの閲覧を考慮しようかな?と思ったら特に問題なかったので放置します。

2012年
そろそろtwitterをやめてブログに専念します。

2011年
内容が内容だけに勘違いされるかもと思ったらやっぱりそうなりまして、困惑しつつミリタリー路線から距離を置き始めました。
私が目指すのは地域の観光案内に毛が生えた程度のブログです。
ご大層な歴史観や高尚な思想信条など一切興味ねえというコトをそれとなく察していただくため、宮崎県史へ空挺隊史を挟みこむスタイルにしようかなとか思案中。

2010年
ヤプログは1記事あたりの字数制限があるので、どんどん長くなる給水塔の記事をコマ切れにする必要に迫られました。
面倒くさいので記事ごとF2Cへ分離し、心置きなく長文化へ。
こうして「唐瀬原」がスタートします。
12月
いぜんから参考にしていた福田鉄文氏の調査レポート群が鉱脈社から祝・書籍化(飛行場関連のみですが)。読み終えて、オノレの姿勢をイロイロと反省中。

2009年
前ブログを削除してアメブロで再スタート。内容が散漫になるので、イヌ以外の記事はヤプログへ分離しました。
この頃に挺進練習部の史料を入手した事で、空挺給水塔の記事を陸軍落下傘部隊史へ路線変更。

2008年
最初のブログに空挺給水塔の紹介記事を掲載。
単なる「こんな戦跡がありまっせ」というだけの内容でした。











スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。